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薬害エイズ事件(日本)

ここで、日本で起きた最大のエイズ事件「薬害エイズ事件」について、改めて振り返ってみたいと思います。

薬害エイズ事件とは、過熱でウィルスの無力化を図らないまま血液製剤(非加熱製剤)を血友病患者に提供したことにより、HIV感染被害が拡大した事件です。

この時の被害者の数は、1800人にも及ぶと言われ、既にエイズで亡くなった人も多くいます。

日本では、1983年に厚生省エイズ研究班が設置されましたが、当時はまだ世界的にもエイズの実態が十分に解明されておらず、エイズウィルスそのものも発見されて間もない頃だったので、ウィルスの効力無効化に対する認識の甘さが各国で見られました。

しかし、問題になったのは、非加熱製剤が問題視され始め、加熱製剤への切り替えが急務とされる状態になりながらも、厚生省がそれを怠ったことです。

また、医師が血液製剤を使う患者に十分なリスク説明をしていなかったことも、被害拡大を助長させる原因になりました。

このことで、エイズ研究班班長であった安部英氏をはじめとする多くの医療関係者が逮捕され、罪に問われました。

安部氏は、HIV汚染された血液製剤を無断で患者に投与した罪に問われましたが、持病が悪化し、2005年に死亡しています。

現在も、80年代に非加熱製剤でHIV感染をした被害者が多くいて、一刻も早い完治に向けての治療が確立されるのを待っている状態です。

薬害エイズ事件 その2

薬害エイズ事件では、被告側が自らを弁護するために、以下のような点について強調しました。

・加熱製剤を作るためには非加熱製剤の3倍量の血漿が必要であったため、非加熱製剤に頼らざるを得なかった。

・非加熱製剤流通当初は、エイズの実態がまだ全く解明されていなかったため、使用の是非は独自に判断せざるを得なかった。

・エイズは潜伏期間が長く、問題に気付くまで時間を要し、そのために対応が遅れてしまった。

などです。

これらの弁明も加味され、民事・刑事裁判が行われました。

民事裁判では、被害者たちが非加熱製剤を承認した厚生省に対して、損害賠償を求める訴えを起こしました。

これについては、1996年、当時の厚生大臣・菅直人氏が被害者に謝罪したことにより、和解が成立しています。

一方、刑事裁判では、エイズ研究班班長の安部氏をはじめとし、厚生省官僚や非加熱製剤製造元のミドリ十字の幹部らが、業務上過失致死容疑で逮捕され、裁判に臨むことになりました。

この中で、安部氏は裁判途中で病が悪化し、判決が下ることはありませんでしたが、そのほかの逮捕者については、いずれも有罪判決が下されています。

現在では、ミドリ十字という企業は吸収合併などで消滅しましたが、旧ミドリ十字のグループは、現在も薬害エイズ問題に関する事後処理に追われています。

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